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野村美術館について

野村美術館の概要

野村美術館は、野村證券、旧大和銀行などの創業者である野村徳七(号得庵)(1878-1945)のコレクションをもとに、1984年に開館いたしました。

当館では、茶道具・能面・能装束をはじめ、得庵の遺作も含めて約1900点を所蔵しています。
そのなかには重要文化財7件(《伝紀貫之筆 寸松庵色紙》・《佐竹本三十六歌仙 紀友則》・《清拙正澄筆 秋来偈頌》・《宗峰妙超筆 白雲偈頌》・《雪村周継筆 風濤図》・《千鳥蒔絵面箱》・《藤原定家・民部卿局両筆 讃岐入道集》)や重要美術品9件が含まれています。

当館のある南禅寺界隈は、閑静な別荘地として有名です。古くより多くの政財界人が別荘を営み、いまなお静かなたたずまいを保っています。
哲学の道や永観堂も近く、桜や紅葉の名所としても知られております。
当館では、得庵コレクションを中心に、春季(3月上旬~6月上旬) と 秋季(9月上旬~12月上旬) の年2回、テーマに基づいて展示しています。

野村得庵について

野村得庵
野村得庵
明治11年(1878年)に大阪に生まれた野村徳七は27歳で家業である両替商を継ぎ、証券業を始めます。
日露戦争時に財を成した後、野村銀行を設立、本格的に金融業に乗り出しました。またインドネシアやブラジルでの農場経営などの海外事業も展開、野村財閥という一大金融グループを築きあげました。
帝国議会の貴族院議員としても活躍し、日仏文化協会設立に尽力した功績によりフランス政府よりレジオンドヌール勲章を授与されています。
このように精力的に事業を展開する一方、得庵と号して、茶の湯や能楽に傾倒し、近代数寄者としても名をはせました。
野村得庵 略年譜
 
1878(明治11)年  8月7日誕生。幼名信之助。
1903(明治36)年  山田きくと結婚。
1904(明治37)年  父より野村徳七商店を継ぐ。
1905(明治38)年  長男義太郎誕生。
1907(明治40)年  二代目徳七を襲名。父初代徳七死去(57歳)。
1913(大正 2)   茶の湯の藪内節庵稽古場に入門。得庵号を受ける。
1914(大正 3)年   能の稽古を始める(観世流)。日本画を上田耕甫に学び始める。
1917(大正 6)   野村徳七商店を改組し、株式会社野村商店を設立。ボルネオの農園を買収。
1918(大正 7)   株式会社野村銀行設立。京都・碧雲荘使用開始。
1919(大正 8)   弟実三郎死去(38歳)。神戸住吉・棲宜荘着工。
1922(大正11)年    野村合名会社を設立し、社長に就任。
1923(大正12)年    南洋視察旅行。南游記念茶会を催す。棲宜荘使用開始。
1924(大正13)年    棲宜荘新築披露茶会。甲子光悦会大虚庵席担当。
1925(大正14)年    野村證券株式会社設立。乙丑光悦会騎牛庵担当。
1926(大正15)年  ブラジル珈琲農園買収。
1928(昭和 3)年     昭和天皇即位式のため碧雲荘が久邇宮殿下の宿舎となる。
1929(昭和 4)年     碧雲荘にて御大典奉祝大茶会を催す。
1935(昭和10)年    碧雲荘舞台披きにて「翁」「鶴亀」演能。
1937(昭和12)年    野村合名会社社長を義太郎に継承。熱海の塵外荘着工。
1938(昭和13)年    碧雲荘にて還暦茶会。
1939(昭和14)年    塵外荘使用開始。
1941(昭和16)  塵外荘茶室披茶会。
1945(昭和20)  1月15日死去(66歳)。
 

美術館手引き

茶の湯

“お茶”  と聞けば、たいていの人は「堅苦しい」「むずかしい」などと思われるでしょう。たしかに「きまり」 や「習い事」を強制するような教え方をする人もありますが、本来の茶の湯はもっと楽しく、なごやかで、そして心が癒されるものです。ただスポーツやゲーム を楽しむには、そのルールを理解しないと参加できないように、茶の湯にもルールがあります。しかし最低限のルールさえのみこんでしまえば、簡単に、気楽に 茶の湯を楽しむことができます。
 
茶の湯はいろいろな楽しみ方ができます。たとえば茶会で出される料理や菓子の味を楽しむ、また、茶会で使われる掛物や焼物を楽しむ、茶会に集う人との出会いを楽しむなど。そして茶の湯は日本人の心のふるさとであり、日本人の美意識の根源でもあるのです。
 
茶会の料理は、出される内容や順序がフランス料理ととてもよく似ています。オードブルと向付、スープと汁もの、メインディッシュと焼物、デザートと和菓子、コーヒーと抹茶というように。
かけものや、やきものを楽しむためには、まずよく美術館や美術商をのぞいてみることです。そのうちにきっと自分の好きなものがわかるはずです。自分の好きなものがわかったら、次には、とりあえずは安いものでよいですから、湯飲みとか小皿とか日常でよく使う物を買ってみること。すると愛着がわき、また同時にもの足らなさも感ずるようになります。そうこうしているうちに、やきものにすっかりはまった自分が見つかるでしょう。
そして実際に茶の湯をよく知っている人に茶会に連れて行ってもらいましょう。その時は、できるだけ少ない人数で行われる茶会にしたほうが、茶の湯の楽しみをよりわかることができます。
 
このようにして茶の湯の楽しみが少しでもわかったら、今度は茶の湯を習ってみましょう。教え方は先生によって千差万別ですから、いろいろな人に尋ねて、この人ならと見定めてから門を叩けば、きっとあなたの望むような茶の湯を教えてもらえるはずです。
得庵 点前
茶室風展示室
雪村周継筆 風濤図
上杉瓢箪茶入
蕎麦茶碗 銘藤浪

能楽

能を表現する言葉としてよく「幽玄」とか「雅び」とかが使われますが、能楽とはいったいなんでしょうか。

能楽とは演劇であり、それにはバックミュージックが付きます。小鼓・大鼓(おおつづみ)・笛・太鼓(たいこ)の楽器による伴奏とコーラスである地謡、これに演者のソロ(独唱)が絶妙のハーモニーを奏でるのです。
能楽はまた仮面劇でもあります。仮面を付けることによって、演者は登場人物になりきることができます。たとえそれが男であっても女であっても、また時に幽霊であっても。仮面は一つの表情しか持ちませんが、演者の動きや姿勢によって、笑いも悲嘆も表現できるのです。

 

能楽は象徴劇でもあります。演者の動きは一見緩慢に見えますが、実はその所作のひとつひとつに、様々な想いが込められています。そのため言葉のわからない外国人にも感情が伝わり、外国公演でも絶賛されるのです。

能楽を楽しむには、まず演じられる曲目のあらすじを頭に入れることです。できれば、もとの物語を知るにこしたことはありません。そのあと謡本に目を通し、あるいは持参して、いまどの部分が演じられているのかを確認することも、理解を助けるでしょう。そして実際の公演をできるだけ見ることです。著名な能楽師による公演は料金が高いので、稽古の会など常に行われ、気楽に見に行ける公演から見るとよいかもしれません。
  
能楽には独特の能面と装束が用いられますから、それらについての知識を身につけることも、能楽をより楽しむ手段となります。時には能面だけ、装束だけに注目して鑑賞するのも一つの方法ですし、あるいは小鼓や笛、地謡に注目したり、演者の手や足の動きを追っていくのも面白いものです。

また夏になると各地でよく行われている薪能や蝋燭能を見るのも、能楽堂で鑑賞するのとはまた異なる雰囲気を楽しめて良いでしょう。闇の中に浮かび上がる炎の光の中で演じられる能楽には、背筋がぞくっとするような、妖気すらただようことがあります。
得庵 花筺
白色尉
孫次郎
段四季草花紋縫箔
黒船段織厚板

ご注意

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